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東西南北    2015(#14)


(お題はM氏よりいただく)

正方形1枚の底辺と正三角形4枚(いずれも辺の長さは1)からできた正四角錐で、錐の頂点より垂直に下ろした底辺までの線分の長さの半分の場所を通るように、底辺のある頂点から引いた直線は、4本の稜(錐の頂点と底辺の頂点との間の線分)のうち1本と交わる。この交わった点から錐の頂点までの長さを求めなさい。

この問題を絵に書くと、まず、出発点(図形)とゴール(求める長さ)とを同時に見ることができる。途中一箇所だけ(補助線の引き方を)考えなければならないところはあるが、しかしこのときもゴールそのものはしっかりと見えていて、間違った道を必要以上に進んでみたりしなくとも、最終的には正しい経路がきっと選択されることになるだろう。「進んでみたけどダメそうだぞあきらめて戻ろうかもう少しがんばるか」などと迷う必要はないのである。ツールについても、図形の相似とピタゴラスの定理だけを使えれば、他にどんなアイテムも要らないのだ。近くに高い山と海のある街で、目的地のおおよその位置がわかっていれば道を知らなくても必ずそこにたどりつくことができる、おそらくそんな安心感のことだ。

会社勤めを始めてからも、なにか課題を解決しようとするときにイメージする自分の立ち位置は、中高生時代に試験問題と格闘していたときのそれと似たようなものがある。上の正四角錐問題はそのうち最も地図的であり文脈の必要なプロセスの一例だが、設計現場でも、現在の位置を確認しながら意図をもって問題を処理する、それは日常よく見られるプロセスである。そしてもちろん、試験問題と同じように、設計課題にもそうはいかないケースはたくさんある。このようなときは例えば、実験計画法や予め適用方法の定められたソルバなどを使うことがあるだろう。全体を見通せる地図はなく、しかし解き方のマニュアルは存在していて、このタイミングでこの道具を使い、それが終わったらこうする、そんなシナリオに沿って作業することが解決の経路とされている課題だ。この類が「ハイレベル」とされることもあるがそれは道具がそうなのであって、これを使う人はその時間に限って自らが「ローレベル」であることに徹しなければならない。

また、もうひとつ、設計課題そのものは提示されていても、背景(例えばどの顧客/部署がいつどういう状況で問題を起こしたか)によっては違う結論に至るケースがある。これは、試験問題で言えば、先生はどんな人で何のためにこの問題を作ったのか、どんな解答を期待しているのか、自分はいま何年生の何学期でこの試験は中間テストか期末テストか、そんなこんなを前提に解答用紙に向かう中高生の状況とよく似ているのではないだろうか。



すっかり入学試験に牛耳られて半世紀、日本の文化にまで昇華してしまった現代の中高教育で、それを当の本人たちに、「今ある目標に対し今の枠組みの中で適切な努力ができる資質」とまで看破されてしまっては我ら外野からはグウの音も出ないのだが、その「今ある目標と今の枠組み」が世界と社会と自然を理解するにはいかにも不適切であるという事実については、全ての責任を現代日本の大人たちは負わなければならないだろう。


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共産党宣言    2015(#02)


<D.E.Fより>

ソビエト連邦の目指した社会や戦後中国の政治が「19世紀ヨーロッパの社会主義思想」とは実際まるでちがう何かに向かっていたということは、地域/時代とも常に極めて外れに在る私達にとってはあまり実感のない現実です。この違いについてはたとえば、西欧の覇権主義と真正面に向かいあっていたソビエト連邦が、アメリカの浮かれた資本主義とも経済的に組むことができず、結果的にそもそも19世紀ヨーロッパの社会主義思想とは親和性にほとんど乏しい「一方的な膨張」を是とせざるを得なかった事などをもってその原因が論じられたりしています。当時日本では、このようなことが議論のお題としてとりあげられることはあまりなかったのではないでしょうか。さらに(その結果かもしれません)、戦後日本の現実を見てみると、この「社会主義」という単語が一方的にネガティブなイメージで赤く塗りつぶされてしまう事件や事象が数えきれないほど起きています。この時代の「革命」的な思想と行動が極めて将来を楽観した新階級予備軍のなにか新しいモノへの盲目的なあこがれに過ぎなかったことは、今ではほとんどの人が認める一般的な評価です。その頃多くの市民は、これを有り体に捉えて社会主義そのものにレッテルを貼ってしまっていたと言えるでしょう。

では時代を経て現在、多くの日本人が考える社会主義とは一体どのようなものなのでしょうか。ある人はセレモニー化した、あるいは逆に集団ヒステリー化してしまった市民運動を、またある人は統制経済をイメージするかもしれません。オリンピックで驚くべき強さを発揮する東ヨーロッパの国々もインパクトがありました。最近では「一党独裁軍事大国」のような反共プロパガンダが際立って表に立つことも少なくありません。総じて、資本主義に敗れ去った過去の間違ったイデオロギー、共産主義という妄想の現実的なインスタンス、くらいにボンヤリと捉えられてしまうことが多いのではないでしょうか。しかし、これらの短絡的な安心感は、現代の経済と社会を正しく諒解するためのカンバスに破壊的なダメージを与えています。私達は、その敗れ去ったと言われるものが本当は何であったのかについて一度は考えておかなければなりません。例えば上に述べた仮説について考えることも、その助けになるのではないでしょうか。
・それは、19世紀ヨーロッパの社会主義思想とは異なる、人間の存在を背景に持たないただの旗印だったのではないか。
・それは、「経済的/軍事的発展を条件とする」という極めて限定された条件の下での敗北だったのではないか。

19世紀ヨーロッパの社会主義思想には、働き方、富の分配方法、社会における意思決定の方法、などが必ず議論の根元にありました。しかしそれらは、後の数十年間で、実験中だった資本主義内部の市民と資本との抗争(ロスチャイルドやロックフェラーも見てほしい)と不況による全体主義の台頭からの大きな影響を受けながら、これらの吐き出した澱でもある人類初の世界戦争を経て、ことごとくその姿を変えてしまうことになります。たとえば働き方についてですが、19世紀初頭、労働における「報酬」対「誇り」の議論は、一様に「欲求段階説」のようなもので白黒をつけるにはあまりに複雑な関係であるとして、直前の君主制で階級の内側に見られた均衡と同じように、市民の間では自然に共有され上手に棚上げされてきた問題でした(*1)。つまり、そこには報酬の権利と共に働く権利についての議論が必ず存在し、その問題は一般の人々に広く認識されていたのです。しかし20世紀に入って、マルクスが「余暇時間」を「幸せと自由」に転化しようとしたとき、まさしくその論自身によって、働くこと自体は不幸で不自由であるという画一的な見方が世界に広がってゆきます。そして第二次世界大戦が終わるころには、この戦争における過酷で悲惨な経験も手伝って、社会主義陣営にも自由主義陣営にも、共産主義にも資本主義にも、まったく等しく偏った意味で「労働」という言葉が受け入れられ再定義されることになります。どちらの「側」に立つ人も、人間に最も重要なはずの「労働」とういう行為を単一の向きからしか捉えられなくなってしまったということです。たとえば、官僚機構と産業構造が必ずある一定の割合で瓦解/再生産を繰り返すという現象は、実際どの「側」にも同じように起こっている副作用です。これは、その極めて狭い「労働」という定義が生み出す代謝現象に他ならず、両方の「側」の持つ遺伝子があまりにも似ていることを私達に教えてくれているひとつの例と言えるでしょう。

→ "設計(1)"
→ "よくわかる経済"






*1)
18世紀にはボルテール(仏)などもこれを取り上げている。


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関係と帰納    2014(#21)


(お題はY氏よりいただく)

表題にある inductive または deductive すなわち「考え方の向き」のようなものは、たぶん80年代の日本ではまだまだボンヤリとしていて、なにか産業の一部を形成するような要素ではまったくなかったのだと思う。しかしそのころから、企業の個別の業務の中には、「考え方の向き」が重視されることになるだろう時代を予感させる技術的手法はいくつか存在した。古くは、研究開発部門でよく用いられた「実験計画法」である。そのころは「基礎研究」という響きが日本ではまだまだモテていた時代で、実験計画法は多くの場合、あくまで解決に至るコストを削減する道具として認識され使われていた。最近では、マスプロダクションがQC7つ道具で品質管理(製造管理)を手にしたあと、では次に市場と設計との間に長い橋を架けてやろうと、タグチメソッド(品質工学)が運用した直行表/直積実験/要因効果図などもそうである。こちらは最初から比較的ヒューリスティックな感覚をもって使われていたようだ。

当時我々は、このような手法を用いなければならなくなったとき、自分たちの理解の外で何やら当たっていそうな論が構えられることに小さな不安を覚え、これらの導入に対しては大きな抵抗をはっきりと感じていた。
「実験計画法を求められたということはそれは技術者失格の烙印を押されたということか」
「品質工学とは我々設計者のギブアップ宣言なのでは」
と、その本質もなにも理解しようとしないままに、ただ足を踏ん張ってしまっていたのである。
言い訳になるがたしかに、わけのわからないアルファベット3文字や事業計画のお題目として収まりが良いというだけの漢字列は、流行りのリーダー論にからめとられた管理者や経営者の琴線をびんびん弾いた分、その攻撃のターゲットになった現場主義者/ベテラン従業員の感情的な反発をおおいに招いてしまったことも一方の事実である。パラダイムの自然な入れ替えが成されないままに壊滅した日本の製造業に対しては、経営者/管理者側、現場主義者/ベテラン従業員側、両者はともに等しく責任を負わなければならないということだ。

現代では、特にビッグデータの活用と呼ばれる分野で、このような「関係と帰納を燃料としたエンジン」は、あちらこちらでその外観と性能を顕にし始めている。また、そこまで派手ではないにしても、FEM(有限要素法)による構造強度解析や電磁場解析、SPICE(節点解析)による回路動作解析などのシミュレーションにおいても、一見その向きは外を向いているように見えるかもしれないが、実際には現実との整合を大前提とし内側に向かってその骨格は張られている。そしてこれらの道具は、いつの間にか現場から日々の悩みを拭い去り、労働者に理解を求めることも少なくなってきた。時代はその代わりに、この関係を積み重ねた膨大なデータの、まるで生き物のような「何か」に対する感受性、あるいはこれを性格のようなものとして捉えるセンスを、今度はあからさまに要求してくることになるだろう。

日本が半導体の製造技術に賭けた理由/そして敗れた理由、未だにITを道具でなく事業として捉えている理由、産/学/官における「基礎研究」という言葉の迷走、21世紀の入り口で明らかに遅れをとった産業の構成力、これらにはもしかしたら共通の遠因があるのかもしれない。このことを考えるための材料は身近にたくさん見ることができる。例えば米国防総省に保管されている70年前の戦時レポートには、空母からの雷撃機と爆撃機を用いた日本の真珠湾攻撃を分析し "excellent" な作戦であったと評した速報、珊瑚礁海戦とミッドウエー海戦で撃墜した相手日本人パイロットの技量が "have out-performed our's" であったという警告、そんなものが普通に残されているという。彼我の思考回路のこのような違い(*1)は、いまでも我々の内にどうしようもなく存在しているのものなのだろうか。

→ "官邸(4)"






*1)
その違いは思考回路だけによるものか? 社会と進化との関係についても考えなければならないだろう。
→ "産業2015-b"
(+ 2015年)


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設計(2)    2013(#05)


"設計(1)" より続く

製造業においては、企画営業から製造や品質保証まで、全工程にわたる「手順」一式がそれぞれの事業毎に準備されているはずである。それは機械のプログラムのようなものだろうか。たしかにひと昔前の工場ではそうだったかもしれない。しかし現在の工程を実際に見てみると、多くの労働者は手順書を単なるマニュアルとして見ているわけではない。彼らは、そこにある手順が目的としている好ましい結果、あるいは数値に隠れた期待や背景を読みとりながら、ポイントとなる箇所に赤線を引き自分なりの注釈を加え付箋を貼り付けて使っているのである。単純作業が極端に減ってきた現代製造業における「手順」は、常に効果との仲立ちを労働者に要求し、運用し行間を埋め続けることではじめてその役割を果たす、そんなふうに変わってきているようだ。
現代の「手順」とは、概念としてたとえばオーケストラの譜面に例えられることがある。それは全ての楽器の種類と数、配置を明らかにし、各パートの役割を示し、全体の流れがこれを捉えるに最適な大きさで書かれたものである。メンバーは、自分がそのパートをどう演奏するべきなのか、どの音が他のパートとどんな関係にあるのかをこれによって知る。そして毎日の演奏の中、先輩に教えられ、同僚と話し合い、失敗しながら、自分が全体に/全体が自分にどのような影響を実際に与えうるのかを体得してゆくはずだ。例えば、製造であれば設計初期から図面に関わっておけば結局自分の作業手順が効率よくセットされるということを、開発であれば企画段階からの製造との摺り合わせがプロジェクトの推進には絶対に必要であるということを、多くの労働者は経験によって理解している。しかし、そうやって実際彼らが得たその技は、とても柔らかく、頼りなく、人間的で、つかみどころのないものばかりなのである。簡単には数値にできず、自分自身でも完全には理解できておらず、おまけに他のパートに応じて都度変わるべきものだったりするのである。したがってそこでは、譜面に個々の細かな動作までを一々場合分けして付け加え毎日書き直し配布するなどという動きはほとんど起こらない。それはおそらく膨大な作業のわりには実際ほんのふたつみっつの場合にしか適応できないものだからだ。さらに全パートのあるべき姿と行く先を全員に示すという譜面のもっとも大切な役割を削ぎ落としてしまうことになりかねないからである。そういった意味では、業績の好不調、改革の必要性、会社の目標の変化、このようなマクロな状態や動きを常に労働者に想像させておくことも、良い演奏には欠かせない重要な要素になるだろう。

注)これは一般に「標準化」と言われる努力だが、ここでは「標準化」が一定の深さまでは必要な作業であることを肯定し前提としている。譜面の無いセッションを普通にこなせる人などその辺に集まっていたりはしないからだ。労働者の質に対してちょうど良い深さにまで掘り下げられた手順は当然に必要なのである。ただ、標準化がその限界深度を越えるかもしれないなら、それはちょっと待って、立ち止まってもう一度考えてみてはどうか、というのがこの論である。
もちろん、表面は「標準化の限界深度」と同じような素振りを見せていても実際には性質が全く異なる、そんな個人の動きも実際にはある。それは、標準化に対する、「面倒だ」「よくわからない」「無駄だ」、などといった幼稚な否定や反感、それに既得の立場をただ守りたいだけの防御姿勢である。これらはこの議題とは別の次元で組織に存在する病巣であって、「標準化の限界深度」とは明確に区別して定期的に削り取っておくべきものである。

かくして労働者は、譜面を拠り所とし、常に隣の楽器の今日の調子に聞き耳をたてながら、曲の流れを捉え、最終的に全体がうまく良く正しく成るように自分自身の能力をもってパートを実行する、そんな製造という演奏に毎日参加しているのだ。そしてそれが彼らの生活の時間的な半分、言い換えれば社会の半分までを占めているということは、労働者の能力に多くを頼って行われた製造という活動は、たとえその後の販売/利益という結果を通さずとも、それ自体が実は経済や社会の重要なエンジンであるということでもある。いま管理者が現状の譜面を見直し、頭の中にある譜面と入れ替えようというのであれば、それが会社の内外に与える思った以上に大きな影響を覚悟しなればならない。もしそれが本当に見直されるべきものであるならば、目的の構造をこれから作りあげる生産活動の基礎と位置づけ、むしろできるだけ派手に、例えば中期経営計画に掲げ全社をもって進めるのも戦術だろう。中途半端に労働者の懐に手を突っ込むような策はほとんどの場合良い結果を生むことはない。経営の時間や管理の力に少しでも余裕があるのならそれは避けるのが賢明である。

管理者/経営者は、譜面を変更し改革を断行する前に、自分自身に問うてみなければならないることがある。その改革は会社/社会/経済の維持に対しプラスに働くのか。決算期ごとの自分のノルマを「会社の存亡」に転嫁しただけなのではないか。それは単眼視的でひとりよがりではないか。刹那的ではないか。それを前後数年の文脈の中で説明することができるのか。労働者を経済のプレイヤーでなく会社の作業者と看做してはいないか。そしてそれは中途半端ではないか。


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設計(1)    2013(#04)


「コンカレント設計」
「サイマルテニアスエンジニアリング」
「現地設計のツボ」
いつの時代もそこそこ売れるビジネス書の題目である(実際の題名ではありません)。長い空中戦を制して昇格し任に就いたばかりの中隊長にとってみれば、なるほどまずは押さえておきたいテーマだろう。これを手にした大隊長が現場で手ぐすね引いて待っているかもしれないし。

一方で、兵隊たちのこのことに対する反発も定番だ。これには正当なものと、自分の聖域を守りたいがための防衛反応とがある。これを明確に分けて考えることは重要だ。後者である場合(実際少なくない)は対処方法の問題だけなのだが、前者、論理的な言い分についてはよく考えておかなければならない。基準/標準などテクニカルな効果と、労働者が社会にどう関わっている(ゆく)かという問題、それらの出し入れが議論の中心になるはずだ。

→ "設計(2)" に続く


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