官邸(4) 2014(#04)
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"官邸(3)" より続く
当時、米国による評価や判断はほとんどの場合我が国のそれよりも正しかったであろうと言われている。ではどうして米国にはそのような力があって、日本には無かったのだろうか。「余裕」をキーワードに、3つを考えてみたい。
第一は、当事者ではない事による余裕である。例えば東南アジアの小さな島で地震や津波の被害が出てしまった場合、日本国政府はきっと、冷静で的確な対処をもっとも効果的なタイミングで打ち出してくれるに違いない。
そして第二に、政治と市民とはある契約の下に一体であるという、「クリトン」から「人間不平等起源論」まで二千年以上ものあいだ社会システムを考え続けた民族に特有の認識があげられるだろう。アメリカ合衆国とは、ヨーロッパ人がこれらの議論を棚卸しし確認する過程で造りあげられた国家だとも言える。このことは政治家にとっては何よりも堅く厚い後ろ盾であり、意思と勇気を不安から守り、正しい判断を下すための余裕を常に確保してくれているのである。
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"官邸(2)"
さらに、ここで、もうひとつの余裕についても考えたい。それは、運用も含めたリスク対策技術に米国が大きなアドバンテージを持つ理由だ。米国では、安全保障とリスク対策は、今ではそれ自体が一定の規模をもって産業の一分野を形成している。戦後、彼らは極東にある新興製造業の国内への侵蝕にあえて抗わず、逆に富としてこれらを受け入れた。その代わりに税金と労働力の受け皿となった産業分野のひとつが安全保障とリスク対策である。これは一般の国には決してなぞることのできない曲がりくねった道であり、米国では、国家を保つための三大栄養素とも言える農畜産物、軍事力、エネルギーに関する充分な余裕が、この新しい産業分野を育て上げるためのバックボーンとなったことを忘れてはならない。100年間世界一を保ち更にまた新しいルールを築こうとするまでに蓄えられた基礎科学やITに関する地力は、元手というよりは結果または差益なのである。(*1)
*)
本題からは少しそれるが、「技術立国」などという妄想で満足している国は今やもう日本以外どこにもない。ただその国においても、このような薄弱な単語ひとつで心安らいでいる人の数は、企業の離合集散/淘汰/公開、外国人や海外製品のおかげで少しは減り始めているようだ。しかし未だ残るそんなおめでたい人々の人口密度が最も高い都市、それが東京なのである。
*1)
元手はもちろんこの余裕だけではない。日本とはまるで異なる進化の形態はまた別の意味で重要だ。
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"産業2015-b"
(+ 2015年)
官邸(3) 2014(#03)
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"官邸(2)" より続く
衣食住に安全、清潔、そういった人類の基本的な欲求はすでにおおむね満たされて久しく、その後、経済の「余剰価値」と言われるものが多く通過する側の少数と、反対にあまり通過しない側の多数、ふたつの集団の両立は、長いあいだどちらの側の人々にも無くてはならないエネルギーのバックグラウンドでもあった。
そしてこれに対し、「報道と言論を両輪とすべき」新聞であったが、戦後すこしずつ片方の言論を捨てながら、多くの単眼視的でノリの良い反応を是とし、今は完全な片輪走行のまま、まるで狭い一方通行の道を何の目的もなくただヨロヨロと走り続けているようだ。「余剰価値」があまり通過しない我々の側の「妬み」を糧になんとか生きながらえているだけに見えるのは、決して私の偏狭によるものではあるまい。
「既に発言権を失っている東京電力の役員と政府首脳達に対し記者市民連合がここぞとばかり殴る蹴るの一斉攻撃」が、人間の罠にかかって死にかけている猫へのネズミたちによる腹いせのリンチにしか見えなかった多くの場面だが、それだけなら苦笑いで済むとしても、これを順序も整理も論理も無いグッチャグチャの記事にし、あろうことか本にまでまとめてしまった新聞社に、それこそあのときの、「責任は誰がとるの」「これじゃわからないよ」「国民が知りたいんだよ」、彼らの放ったその言葉をそっくり返してあげたいと思うのは、決して私のヒステリーではあるまい。
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"官邸(4)" に続く
官邸(2) 2014(#02)
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"官邸(1)" より続く
私たちは、いざ問題の解決に向けて行動を起こさねばならないそのとき、総合的に最適であるはずの解を導くー正直に考えるーという行為をあえて丸ごと放棄してしまうことがある。このときになされる判断のガイドラインは、孤立しないこと、他の多くの人生を背負い込まないこと、このふたつだ。自分の行動は、失敗しても同情を得ることができるだろうか。非難されないだろうか。見放されないだろうか。
「慢心だろ」
「先走りやがって」
「ひとりよがりな」
「無能なんだよね」
このような一言は私たちを徹底的に打ちのめす。これらはすべて単独ではまったく意味を成さない言葉なのだが、実体がないからこそ、そこには反論の余地もチャンスもなく、かえって重い評価となって孤独なプレイヤーの勇気を削ぎ気力を押し潰すのだ。ゴールの雲行きが少し怪しくなってきたかもというあたりで、これまでの同僚や協力者を含め自分以外のほとんどが一斉に評論家へと転身し、ちらと横目で隣を伺いつつそんな無責任なマジョリティを形成してゆくさまを、我々は身をもって体験し学習している。つまり現状ではこの原因は、プレイヤーよりはその周囲のマジョリティにあるということだ。
もうひとつ、我々は、実際、毎日様々な人々と交わり、常に他人の人生に密接に関わり、生活の奥にまでお互い深く入り込んでいるにもかかわらず、いざ、目に見えてそれを左右するかもしれないという状況に直面したとき、事の重大さに怯み、決断を下すことに尻込みをしてしまうことがある。人に迷惑をかけるな、ひとさまの生活には手を出すな、という誤った教えと、その成果である誤解が、必要以上の強い覚悟なしには行動が起こせないという特徴的な風土を形成していると言えるだろう。この主犯が家庭に潜んでいるということは、育ったときにはわからないもので、育てているときにはもう忘れているものなのだ。
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"官邸(3)" に続く
官邸(1) 2014(#01)
誰かの意志によるものか自然に発生したものかはともかく、どのような場面にも、リーダーらしき人物は何らかのかたちで存在しているはずだ。そしてそのリーダーが空回りしてしまう場面はどこにでもある。それは、反発、誤解、無気力、様々なパターンで現れることだろう。そのうちのひとつに、萎縮する者とさせる者との構図がある。
おそらく壮年日本人の多くはこれに似たシーンを経験してきている。小学校の教室で、担任の先生がクラスの全員を座らせて頭ごなしにただどなりつけるという、昭和生まれの日本人ならば一度は経験しているだろうあの儀式だ。当時子供たちが何も言い返せず半泣きになっていたのは、先生とその一味である親たちの体力的/社会的/言語能力的な優位、そのただ一点に理由があるわけで、大人達に逆らって生きてゆく術を知らなかった彼らが防衛本能を正しく発揮したに過ぎない。かわいらしい一場面だ。
ところが、ずっと後になって、眠っていたこの回路にプチっと電源が接続されることがある。暴力の恐怖などとうになくなり、正しい反論も議論も充分にできる大人になって、何年も完全に忘れていたあの精神的虐待の記録とそれに応答する回路がまた動き出すわけだ。私も会社員時代に何度かこのことを経験した。予定どおりに進まない工程を手当するための会議で、事業部長が、中間管理職十数人に対しそれぞれの人間性を全てたたき潰すまで3時間にわたり延々と叱り続けるという場面だった。私自身はその会議用資料の運び屋として居合わせただけなのだが、誰も発言はおろか顔を上げることさえ全くできなかったその場の理不尽さと、地獄の底から聞こえるような事業部長の恐ろしい河内弁を今でも鮮明に覚えている。もうひとつは、これは私も当事者であり、やはり本部長に十何人が一人ずつ面罵される会議である。「なんでできてないんだ」が質問ではないこと、「私物をまとめて今すぐ出ていけ」が命令ではないことをとっさに読みとり、ひたすらうつむいて嵐が過ぎ去るのを待っていた私は、まさに向けられた銃口の前で身をすくめ、ただ存在を消すことによってその場を生きて乗り越えようとする捕虜達の一人だった。しかし、今どきの会社、隠れていたからといって責任を逃れられるはずはなく、目立ったからといって従業員がひとりクビになるわけもなく、本部長とはいえさすがにそんなマンガのような力まで持っているはずはない。私はそんなことを知らなかったのだろうか。おそらくそうではない。一番の理由は「そういう場に反応する回路を持っていた」からだ。もしも本部長がやさしいおじさんで笑いながら質問や意見をしてきたらどうだっただろう。
(なにか答えてややこしい事になるのは面倒だなあ、というのは別角度からのもうひとつ大きな理由ではある。)
(また、我々には実は、萎縮させるほうの回路も自動的に備わっている事も忘れてはならない。)
このようなことが信じられない、不思議でならないという人たちもたくさんいる。例えば外国で別の教育を受けてきた日本人、それにもちろん外国人たちである。日本でも最近の若者はおそらくそうだろう。それはあたりまえで真っ当な反応だ。萎縮する者とさせる者との構図は、世界のある地域のある世代に限定して現れる不思議な病気なのだ。
何人ものいい大人が集まって「それはもっともです、ではこうしませんか」の声も出せないほどビビってしまうとは、実際なんというていたらくであろう。でもそれが現在の日本の(壮年日本人の)姿なのだ。そういった意味で、萎縮する側の醜態を引っ張り出してきて後から責めるのは、筋をわきまえた人の真っ当な批判とは決して言えないのである。
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"官邸(2)" に続く
喪失 2012(#08)