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「国民論派」より全引用    2011(#7)


近時政論考(陸羯南)
明治二十四年五月

 国民的精神
国民的精神、この言葉を絶叫するや、世人は視てもってかの鎖国的精神またはかの攘夷的精神の再来なりとなせり。偏見にして固陋なる者は旧精神の再興として喜びてこれを迎え、浅識にして軽薄なる者は古精神の復活として嘲りてこれを排したり。当時吾輩が国民論派〔あえて自らこの名称を取るにあらず、便宜のため仮りにこれを冠するのみ〕を唱道するや、浅識者、軽薄子の嘲りを憂えずして、むしろかの偏見者、固陋徒の喜びを憂う。何となれば国民論派の大旨はむしろ軽薄子の軽忽に認むるかの博愛主義に近きところあるも、反りて固陋徒の抱懐する排外的思想には遠ざかるをもってなり。吾輩は今ここに国民論派を叙するに当たり、かの軽薄子のため、またはかの固陋徒のために、まず泰西において国民的精神のいかにして発達せしかを略説すべし。

 泰西国民精神の変還
泰西の政学者はみな揚言していわく、近時の政治はすなわち国民的政治なりと、この語簡なりといえどもその旨や遠しと言うべし、いわゆる国民的政治とは外に対して国民的特立および内に向かって国民的統一を意味するものなり。この一点においても世人は「国民論派」の実に最新政論派たることを知るに余りあらん。いかにして泰西近時の政治は国民的政治たるに至りしか、吾輩の見るところによればそのここに至るまで三段の変遷を経過したるがごとし、何をか三変遷という、いわく、〔第一〕宗教的変遷、〔第二〕政治的変遷、終りに〔第三〕軍事的変遷、吾輩請うこの三遷を左に略叙せん。

 その宗教的変遷
国民と言える感情は合理の感情なり。欧州においてこの感情の発達はなはだ遅かりしはいかなる原因によりしか、史学家の説によればかのキリスト教の勢力をもってその因となす。宗教革命の以前にありては、宗教の感情は愛国の感情よりも非常に強かりしこと何人も知るところのごとし。この時に当たりキリスト教を奉ずる者は国の異同を問わず互いに相結托して強大なる団体を作し、もって国家法度の外に超立するのありさまなり。されば仏国人民にして宗教のためその国に叛きあえて隣国のスペインに合同するあり。ゲルマンの公侯にしてその国皇に叛き救援をその同宗教国の人民に請うあり。宗教上の統一、むしろ宗教上の専制はほとんど国民と言える感情を破壊し、政府なるものはただその空名を擁して実権を有せざるに至る、この無政府的禍乱に反動して起こりたるものはかの宗教革命なり。宗教革命は教権の統一および専権を破りて信教自由を立つ、信教の自由すでに立ちて教権ようやく衰え、しかして国民的感情ははじめてふたたび人心に萌す。これを第一の変遷となす。日本近時の政論派にしてキリスト教と抱合し、あえて国民的感情を嘲る者は、まさに泰西百年前の政論を復習するに過ぎざるのみ。しかしてこの輩は自ら称して進歩と叫ぶ、吾輩はこれを呼びて泰西的復古論派といわん。

 その政治的変遷
欧州人はすでに宗教上の圧制を破り外部に対して国民的精神を回復せり。しかれども当時の国民はなおその内部における統一を失い、権力の偏重によりて政治上の圧制を存す。ここにおいて人民はこの第二の圧制を破ることに向かいたり。八十九年における仏国大革命は実に国民的感情の第二変遷を来たせり。この革命はもと毫も国民的感情に関係なく、その鋒もっぱら旧慣の破壊に向かい、封建論を唱うる者を死刑に処したるがごときの点より見れば、むしろ国民的感情に反対するの観ありき。しかれども国民的政治は国民統一をもってその一条件となす。封建遺制の錯雑を一掃して、かの宣言書にいわゆる単一不分の共和国を立つるは、日本の維新改革に近似して内部における国民的精神の発達と言うべし。すでにして仏人の国民精神すなわち愛国心はその適度を越えてほとんど非国民精神を呼び起こしたり。宣言の一条たる四海兄弟の原則は端なく国民といえる藩籬を忘れしめ、共和国の兵は国の異同を問わずただ暴君に向かうべしと大叫するに至りたり。ここにおいて欧州諸国はさきにローマ教皇の威力に脅かされたるごとく、その第二として仏国革命の威力に脅かされ、ふたたび国民的感情の挫折に遭遇せり。しかしてこの恐るべき威力に対してはまた反動を来たすこと自然なりと言うべし。欧州人はすでに革命の思想に流圧せられたり、しかれどもその自由を保ちその幸福を全うせんには彼らいたずらに革命党の力を借りて一時に快を取るの不得策を感知せり、彼らは国民的精神をもって国民の統一を謀り、しかして国民的政治を建つるの必要に迫られたり。国民的精神はここに至りてふたたび活動し、宗教の異同はもちろん、政論の異同にかかわらず、国籍を同じくするものがともに団結を固くして一致するの至当を認む、吾輩はこれを国民的精神の第二変遷とす。

 その軍事的変遷
革命の騒乱すでに鎮りたり。希世の英雄ナポレオン第一世は欧州全土を席巻したり。南地中海岸より北スカンジナーヴに至るまで大小の諸国は仏国の旗色を見て降を請い、万乗の王公は仏国武官の監督を受けてわずかにその位を保ちその政を執ることを得たり。ここにおいて欧州人の国民的精神は第三回の挫折をなし、ほとんど「国民」と称する団体を「地方」と言える無形人のごとくに感知するに至れり。法律制度より言語礼習に至るまで人々みな仏国の風に倣い、偸安姑息の貴族輩に至りては争いてナポレオン帝に臣事せんことを望む。欧州の国民的精神はすでに二回の挫折を経たりといえども、いまだこの回のごとくにはなはだしきことはあらざりき。この回の挫折はほとんど社会の根柢にまで動揺を来たし、当時欧州諸邦が仏国勢力を感受したるさまはなお日本がさきに欧州勢力を感受したる時のごとし。


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「改進論派」より全引用    2009(#11)


近時政論考(陸羯南)
明治二十四年五月

(前略)
改進論派は貧富智愚の差別を深く考量して制限選挙および二局議院を主張せり。この点においては個人的自由の味方にして帝政論派と相近く自由論派とははなはだ遠し。改進論派は政府の干渉を排斥して人民の自治を主張しすなわち個人主義の味方なり。この点においては自由論派とはなはだ近くして帝政論派とはすこぶる遠し。改進論派は貧富強弱の懸隔を放任して優勝劣敗を常視し、政治自由の制限をば是認するも人文自由に係る干渉は痛くこれを排斥するがごとし、この点においては自由帝政の二論と相離るるや遠しと言うべし。改進論派は自由論派とともに主権在民の説を是認して帝政論派の主権在君論に反対したり。しかれどもその説は帝室および国会を一団となしてこれを主権所在の点となし、英国の例を引きて幾分か取捨を加えたるは自由論派と異同あり。改進論派は帝政論派とともに秩序と進歩とを重んじて自由論派の急激的変革に反対したり、しかれども内治の改良を主として国権の拡張を後にしたるは帝政論派と大いに異同あり。
(後略)

→ 参考記事: "「緒論」より全引用"
→ 参考記事: "「自由論派」より全引用"


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「自由論派」より全引用    2009(#10)


近時政論考(陸羯南)
明治二十四年五月

(前略)
この論派は自由放任を主張することはなはだ切なりき。しかれどもその政府の職務に関する主説はかの改進党と大いに異なるものあり、改進論派は政府の職務をして社会の秩序安寧を保つに止まらしめんことを主張せり、しかして自由論派はいわく、
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政府を立つるはもと何等の精神をもってこれを立つるものなるか、要するに強が弱を虐するを防ぐがためのほかあらず、しかるに今やかえって強が弱を虐するの精神をもって富かつ智なる者をして貧かつ愚なるものを圧せしむるの政をなすは豈にその大理に悖るのはなはだしきものにはあらずや〔大坂|戎座 板垣氏演説筆記〕。
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これによりてこれを見れば、自由論派は自由論派と言うよりはむしろ一の平民論デモクラシー派と言うべし、政府は秩序安寧を保つに止まらず、なお貧富智愚の間に干渉してその凌轢を防がざるべからず。これ実に自由論派の本領にして改進論派と相容れざるの点ならんか。自由論派と改進論派とはともに欧州のリベラールより来たれり、しかして甲は平等を主として乙は自由を主とす、甲は現時の階級を排して平民主義に傾き、乙は在来の秩序を重んじて貴族主義に傾く、もって両論派の差違を見るに足り、またもって自由論派の本色を知るに足るべし。

→ 参考記事: "「緒論」より全引用"
→ 参考記事: "「改進論派」より全引用"


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「緒論」より全引用    2009(#9)


近時政論考(陸羯南)
明治二十四年五月

冷は氷よりも冷なるはなく、熱は火よりも熱なるはなし、しかれども、氷にあらずして冷やかなるものあり、火にあらずして熱きものあり、いやしくも冷やかなるものみな氷なり、いやしくも熱きものみな火なりというはその誤れるや明白なり。湯にしてやや冷を帯ぶるものを見、これを指して水なりといい、水にして少しく熱を含むものを見、これを指して湯なりという、ここにおいて庸俗の徒ははなはだ惑う。湯の微熱なるものと水の微冷なるものとはほとんど相近し、しかれども水はすなわち水たり、湯はすなわち湯たり、これを混同するはそのはじめを極めざるがゆえのみ。
(後略)

→ 参考記事: "「改進論派」より全引用"
→ 参考記事: "「自由論派」より全引用"


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「心事と働き」より全引用    2009(#5)


心事と働きと相当すべきの論(福沢諭吉)
1872-1876

心事高大にして働きに乏しき者は、常に不平をいだかざるを得ず。世間の有様を通覧して仕事を求むるに当たり、己が手に叶うことは悉皆己が心事より以下のことなればこれに従事するを好まず、さりとて己が心事を逞しゅうせんとするには実の働きに乏しくしてことに当たるべからず、ここにおいてかその罪を己れに責めずして他を咎め、あるいは「時に遇わず」と言い、あるいは「天命至らず」と言い、あたかも天地の間になすべき仕事なきもののごとくに思い込み、ただ退きて私に煩悶するのみ。口に怨言を発し、面に不平を顕わし、身外みな敵のごとく、天下みな不親切なるがごとし。その心中を形容すれば、かつて人に金を貸さずして返金の遅きを怨むものと言うも可なり。

儒者は己れを知る者なきを憂い、書生は己れを助くる者なきを憂い、役人は立身の手がかりなきを憂い、町人は商売の繁盛せざるを憂い、廃藩の士族は活計の路なきを憂い、非役の華族は己れを敬する者なきを憂い、朝々暮々憂いありて楽あることなし。今日世間にこの類の不平はなはだ多きを覚ゆ。


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