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日産リーフ    2015(#05)


2013年、日産リーフの販売台数は米国で倍増した。(*1)(*2)
一方、2014年9月、日産自動車が米英両国でEV用バッテリーの生産を段階的に終了し日本国内の工場でも次世代電池の生産を縮小する、との報道がなされた。ルノー(韓国LGケムよりEV用バッテリーの供給を受けている)と同様、韓国または中国からの社外調達を柱に据え、国内の供給元はオートモーティブエナジーサプライ(AESC)に絞るものと見られている。AESCの2013年度売上は442億円。生産能力はEVで22万台分。(*3)
EVとEV用バッテリーとは、一国の産業として必ずしも肩を組んで走っているわけではない。EV用バッテリーは、EVにとっては、非常に重要ではあるが単なるサプライ部品のひとつでもある。少しの性能の違いが親製品の販売をダイナミックにドライブする基幹部品(2000年前後の携帯電話に使われたLCDのような)とは、また異なる性質を持った部品と言えるだろう。

ちなみに、リーフ発売開始時のルノー日産連合またはゴーンCEOの世界販売見通しをもう一度見てみると、
・リーフ:2016年に累計150万台
・EV全体:2020年に年間1,000万台(自動車市場は1億台)
2016年のリーフに限れば、この発進時目論見の1/5から1/4をなんとかマークする程度にまでは回復しそうだが、EV全体としての予測は変わらずに悲観的である(IHSオートモーティブは2020年年間100万台以下と見積もる)。これは、2013-2014年のリーフ販売増が「大きなインセンティブまたはペナルティのある大都市圏で2-3台目として購入される」場合に限られていたからである。米国では、2016年の大統領選とその後に向け、ブルーステートにおいても財政健全化への姿勢を明確に打ち出すべき時期に入ってゆくと考えられている。(*2)






(*1)
リーフの販売台数
年    日       米      世界     世界累計
2011  10,000  09,000
2012  11,000  10,000
2013  13,000  22,000  47,000  ~100,000
2014  13,000  30,000

(*2)
リーフが購入される都市は、サンフランシスコ/ロサンゼルス/アトランタ/シアトル といった西海岸の都市が上位を占めている。これは、カリフォルニア州のZEV規制とそれによる都市部公共充電インフラの整備、州の補助金、多人数乗車優遇レーンへの乗り入れ、ZEVに対する最大5,000ドルの税金控除、といった政策によるものが大きいと考えられる。
また、その環境としての特徴は以下の点にある。(全人口の1/3が集まる日本の首都圏とは大きく異なる。)
・人口密度が極端に高くなく、自宅に駐車スペースが充分あり、都市設計に自家用車の使用が組み込まれている。
・住宅、公共/商業施設、産業、の分化が進んだ都市では、動線が限定され、充電設備が充実している。
その他の動機としては次のものもあげられるだろう。
・都市部では平均速度が低く、EVの燃費アドバンテージが大きい。
・2013年1月、北米日産テネシー州スマーナ工場でリーフの生産が開始された。
・2013年、米国で50万円の値下げが行われた。

(参考)
米国以外で唯一年間数千台規模なのが意外にもノルウエーであるが、いくつかの環境に共通点がある。
・輸入税や関税を含めほとんどの各種税金が免除され、価格がCセグメント大衆車と同程度。
・バス専用車線を走ることができる。
・4000ヶ所の公共スタンドで充電が無料。
・都市部の通勤/通学/買物に使われる。
・ノルウエーでは電力がほぼ水力で賄われており、したがってEVは国策としても広く理解されている。

(*3) テスラGigafactoryの年間目標生産額は1兆円。  "リチウムイオン電池産業"


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MRJ    2013(#06)


MRJ
新型護衛艦進水
メタンハイドレード
イプシロン打ち上げ
準天頂衛星

これは国内におけるのこのところの話題だが、同様のニュースに日本の男子が受けるワクワク感は、中国韓国日本、東アジアの人々の心を同じように揺り動かす特徴的な感情のひとつである。この感情は、DNAとか爬虫類脳だとか、あるいは進化の段階で選ばれてきた性向であるとか、そのような人種に書き込まれた特質などではもちろんない。我々大人に求められるのはそのようなソモソモ論ではなく、人々が19世紀以降(日本では明治維新以来)思いつめてきた、「わが国でも」という文明へのあこがれにも似た強迫性の感情を、もう一度自分の中に認識しておくことなのである。

この百数十年が長いのか短いのか、いずれにせよ我々は相変わらず、おそらく「西洋事情」とほとんど同じ位置を歩いていると言ってよく、つまり、作ってもらったルールの中で、先頭をゆくライオンの脇にかくれ、象や狼たちをやりすごし、役割を与えられ、集団で狩をし、分け前が少ないとこぼしつつ、「オレだってやればできる子」とひとり納得し、たまに「おいライオンしっかりせんかい」と聞こえないように突っ込むことを楽しみにせっせと働いている。このこと自体に引け目を感じる理由はない。ただ、自らのその立ち位置の何を吟味することもなく、その視点で見る映像だけをもとに短絡的に感情を組み立ててしまうことがもしあれば、それは群れの他者たちにとって歓迎すべき行動には決してつながらないということだ。

2020年のオリンピック、東京に来ることへの賛否は別にして、IOC総会での日本人の「プレゼンテーション」は、私自身にもこの微妙な安定感をまた思い起こさせた。「就職面接マニュアル」を大学生がそのまま実践してしまったような、なんともいえない不自然な手、あのシュールな「間」、そんな恥ずかしさ加減がなかなか受け入れられないのはただ自分の未熟なのであるが、総じて、「ロビー活動」も含め日本人はクサらずによくやっているなあとまったく感心するわけであり、そういった意味では我々はけっこうよく自分のことを俯瞰し評価できていて、ああいう欧米人たちの文化を支援してあげることも日本人の大切な役目なのだと、あれはそんなことを再確認させるシーンでもあったようだ。


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