「回路基板を作るために使うCAD」を何と呼べば良いか、いろいろあって私もずっと困っているのですが、最近では「PCBCAD」と呼ばれることが多いかもしれません。
PCBCADは元々ふたつの機能から成り立っています。

A・回路図を描く機能:以下【回路図CAD】:(回路設計ではない)
B・その回路図どおりに、部品や導体配線を基板上に配置する機能:以下【基板設計CAD】:(アートワークと呼ばれることもある)

PCBCADが機械構造系CADと大きく異なるのは、【回路図CAD】【基板設計CAD】ともに、「やることが決まっている」すなわち「予め決まったフィーチャーとメソッドがいくつかあるだけ」という点です(*1)。たとえば、【基板設計CAD】を使う作業者は、機械構造系CADで繰り返されるような、パーツを縮めたり勘合を調整したり図形の一部を拘束したりといった作業は行いませんし、意匠と強度を天秤にかけて悩んだりすることもありません。ヒストリや新しいフィーチャーという概念もありません。必要な全ての制限が最初に指定され、【基板設計CAD】はそれを超える操作を完璧にブロックし、作業者は与えられた部品と配線を与えられたエリアに上手に詰め込んでゆく、そんなイメージがあたっていると思います。もちろん、開発や回路設計に携わる人が【基板設計CAD】を扱うのであれば、要求と現実との間を行き来しながら、制限の微調整、部品の変更、あるいは性能の抑制を繰り返し組み上げてゆく、そんな使い方になるでしょう(機械構造系CADと同じように)。しかし今の【基板設計CAD】はそうではありません。少なくとも日本では、ほとんどの【基板設計CAD】を使う工程は、作業として外注に任されているというのが実情です。後述しますがこれも重要な点です(「ほとんど」という意味も含めて)。

このように、現在は単純で面倒な繰り返し作業を支援するための道具として使われているPCBCADですが、ならば、いまだに自動化されないのはなぜなのでしょうか。実際に期待の御意見や御質問もよく耳にします。技術的には別のページでも少し掘り下げてみましたが、それとは別に、他の工程への/からの相互の影響という観点で、ふたつの要因が「conventionalで」「cognitiveな」自動化を妨げてきたのではないかと私は考えています。ひとつめは、発注者の受け入れ可能なゴールがほとんどの場合あいまいなこと(形状や配置ごとに比較的自由であること)、ふたつめは下記【連携/管理機能】によって工程が完全に分断されること、です。

ここからがメインテーマになるのですが、PCBCADによっては、上述した本来の機能A.B.ではなく、その【連携/管理機能】を特に重視しているものがあります。これをC.としましょう。

C・工程の分離と入出力:以下【連携/管理機能】

これは、本来の【回路図CAD】【基板設計CAD】に元々あった処理がスピンアウトし前面に出てきたもので、特に伝統的なPCBCADベンダでは、このことをバイタルなリーシュコードとまで位置づけて重視しているようです。各社Webサイトのはじめに「ソリューション」「トータル」「ハイエンド」「エンタープライズ」などという言葉が出てくれば、それがまさにこのことです(「ハイエンド」なのは価格ですが..)。商業的には、この機能は、一般化しつつある【回路図CAD】【基板設計CAD】では顧客や価格を支えることが難しくなったPCBCADベンダが、替わりに【連携/管理機能】の拡充をもって顧客を維持する、そのためによく考えられていると言って良いでしょう。以下でこれを少し展開してみます。

まず、PCBCADが関わる回路基板製作工程は下記1.2.3.です(0.は除く:PCBCADに回路の開発や新規設計を支援する独自の機能はありません)。1.2.で上記【回路図CAD】【基板設計CAD】がそれぞれ使われ、最後は3.に引き継がれます。

0.開発/新規設計:以下[0.開発工程]
1.設計:以下[1.設計工程]:(【回路図CAD】が一部でまたは最後に使われる)
2.基板設計作業:以下[2.基板設計工程]:(【基板設計CAD】が主体)
3.製造:以下[3.製造工程]:

【連携/管理機能】の実体は、これらそれぞれの工程の間でやりとりされる情報(たとえば[3.製造工程]の条件を[1.設計工程]に)(たとえば[1.設計工程]の指定を[2.基板設計工程]と[3.製造工程]に)を、ユーザがハンドリングできる形で入出力したり整合性を確認したりするものです。データは構造化され、「管理:Management」というキーワードでくくられ、インターフェイスを与えられて端末の画面に表示されます。

断っておきますが、スマホに代表されるような先端性能/量産電子機器を扱う業種では、PCBCAD固有の【連携/管理機能】をビジネスのエンジンに取り込むことは現実的ではありません。そのような業態では、どの工程間でも、流れが順方向であっても逆方向であっても、情報を外に向けてあらためて調整したり公開したりする必要は無いからです。そもそも設計や検討/テスト/変更などの業務はひとつの工程が単独で行うことではなく、0-1-2-3.の全工程に共通の認識と意図をもって行われ(アジャイルで小さなイテレーションであっても)、それらに関わる情報伝達と管理には、パフォーマンス/信頼性/フィットネス、どのような観点からも、企画/設計/調達から販売/評価/対策までを包括した自前のシステムが実際に使われるからです(産業を牽引するときそれは常に垂直統合型なのかもしれません)。この項が取り上げている伝統的なPCBCADの【連携/管理機能】は、そうではなく、[2.基板設計工程]の事業者が前後工程の事業者とは別である業態(*2)での、回路基板単体が部品として外注される製品の類似機種または継続生産品をターゲットとしています。つまり、条件や制限など情報の異なる事業者間での受け渡しと関連業務を取り込んでしまおうというわけです。そのために単語の定義や数値のフォーマット/データ構造/ルールを提供しようというのが、彼らの言う【連携/管理機能】です。

この【連携/管理機能】が提供するのは、様々なユーザ(事業者)が過去に扱ったすべての数値や条件や定義や関係を、再現可能な状態で漏れなく正確に引き継ぐという機能です。であればその管理すべき条件/制限セットは、新案件や顧客の数または製造工程の変更や追加など、時間とともに一方的に増えてゆくのは当然です。新しい条件や制限が加わるごとに、それら自身、およびそれらと過去のものとの組みあわせや関係まですべてを取り込む必要があるからです。【連携/管理機能】が切り込むのはそこです。戦術を少し分解してみると、このように肥大化した条件/制限セットがいったんうまく動き出してしまえば、複雑にからみあってわけのわからなくなったその構造体(実際ほとんどラビリンス状態です!)に、あえて手を突っ込もうという正義と真実の人がどこにもいないということ、【連携/管理機能】がフォーカスしたのはそういった現状です。伝統的なPCBCADベンダは、結果的に(または最後のチャンスとして戦略的に)この部分を絶えず塗り重ねることによって、大変革までのあと何年かを上手に乗り切るプランをきっと持っているはずです。たしかに、【連携/管理機能】を使うことに事業としてのメリットはあるでしょう。

[0.開発工程][1.設計工程]の発注者は、製造データから紙の「図面」まで全ての管理を外注し、本業である開発設計に注力することができる
[2.基板設計工程]の作業者は、同じ製造者/発注者に向けてであれば、同じ条件/制限セットを使って同じ手順で単純作業を行えるようになる

ただし、先に書いたとおり、対象となるのは新聞雑誌やニュースで取り上げられるような巨大市場や先端産業ではありません。【連携/管理機能】が生きるのは(現在:結果的には)、回路そのものは商品の価値を殆ど負っていない製品、あるいはルールと書類に固く守られた官需/インフラ品、それらのリピートやメンテナンスを継続的に扱う事業に限られます。このことを取り違えていると、会社の大切な資源を正しく配分できなくなってしまうでしょう。

すなわち対象となるのは、最近話題の「生産性」(あるいは業者をまたいだ最適な解)が無視され続けている典型的な「村」です。我々に巣食うこのような問題はこの場の主題ではありませんし様々な指摘もなされているので深追いはしませんが、これも「高齢者が生き延びて若者が割りを食う」という図式には違いありません(*3)。



ここまで、「『継続/官需』産業の一部としてのみ1000万円のPCBCADは使われる」くらいに整理してしまったとすれば、それは言いすぎかもしれませんがしかしそれほど間違ってもいないと私は思っています。このことに関連し、その『継続/官需』や最初に書いた『先端/量産』とはまた異なる業態として、『少量生産/試験研究』におけるPCBの製作に注目してみましょう。もちろん製造枚数としては市場とは言えないほどに小さなものではありますが、PCBCAD(その稼働数や作業工数)から見ると、こちらのほうがむしろ多くなるかもしれません。特に、製造工程を調査/選定し、それに合わせてPCBCADの新規作成から製造出力までをフルに構成するような作業となると、『少量生産/試験研究』で使われる割合はさらに大きくなるはずです。

現在この業態で製造工程に選ばれているのは、2000年以降受注の間口を国内外に向けて大きく拡大した、アジアや東ヨーロッパなど世界に点在する専業工場です(窓口や代理店はほとんどがWebサイトで各国版を用意しています)。彼らは、製造枚数だけでなく作業工数までも商品のひとつに据えることによって、品種と数量の(すなわち時の情勢にリンクした産業の)ダイナミックな変化に対応してきました。それは実際には、ユーザ自身が製造工程を直接扱えるように、世界に共通の構成や定義をもって、製造の制限/トレランス/技術/コストを合わせて公開するということです。皆さんもそのようなWebサイトをご覧になったことがあるかもしれません。そして実はこのことによって、日本でこれまで一部の「技術者」と「営業」だけが握って離さなかった[2.基板設計工程]と[3.製造工程]の間の闇も、「なんだよ簡単じゃないか」と開放に向かってやっと動きはじめることになりました。そしてこのような中で、工程間の調整ルールをただ固定的/盲目的/継続的に守る必要がなくなる(むしろ絡まったままでは放置することができなくなる)のであれば、PCBCADの選択はもう自由です。現代では、PCBCADの価格によるピン数や層数の制限とか自動配線機能の差、などという高級低級/プロ向素人向論は、ネットに残った滲みか伝説にすぎません(そういう例があったことは事実ですし、今でも自由度/方法/準備に特徴や差はもちろんありますが)。「できるかできないか」だけについて言えば、数万ドル/数千ドル/オープンソースのものの間に差はほとんど無いのです。例えば実際にCERNなどの研究機関やEUの多国間共同事業で、情報を共有したり繰り返し作業や複雑な自動配線をプログラムしたりと回路製作の中心的な役割を担っているのが KiCAD だったりする、という事実も知っておくと良いでしょう。









(*1)
もう1点、プロプライエタリなCADは残念ながら「ベンダーロックイン」という素性を生まれながらに持っているものですが、それでも機械構造系のCADでは、当時ほぼ唯一のシェアと圧倒的な性能を持っていたAutodesk社が "dxf" というフォーマットの内部仕様を公開した事によってこれが事実上の世界標準となり、以降CAD乱立の時代を経て今に至ってもなお、ベンダー間の互換性は高いレベルで保たれています。その点PCBCADの「ベンダーロックイン」は長い間その守りを崩すことはなく、互換性が今でも完璧にブロックされているのは皆様お嘆きのとおりです。ODBやIPC-2581など低レベルのデータ交換ですら各社腰の引けた状態と言ってよいでしょう。(このような違いは今回の本題ではありませんが。)



(*2)
[0.開発工程][1.設計工程]の事業者が[3.製造工程]の事業者と別であることについては、水平分業が殆どのケースで効率的であることからも違和感はありません。そして中間にある[2.基板設計工程]の事業者ですが、たしかに、[0.開発工程][1.設計工程]の事業者が製造設備の能力を含め製品の性能を完全にコントロールしなければならない特別な製品/業態は存在します。本文では「スマホなど先端性能/量産電子機器を扱う業態」または『先端/量産』としました。この場合[2.基板設計工程]の事業者は当然[0.開発工程][1.設計工程]の事業者の中にあります(一体と言ってよいでしょう)。要求も結果も状況も外には出てこないので、我々が目にすることもほとんどなく、ここで取り上げるものではありません。

このページが対象としているのは、そうではないほとんど(注:売上高や製造数でなく件数で言うと)の製品/業態です。そこでは、[0.開発工程][1.設計工程]の事業者の要望は、「製造設備の能力の範囲内での適切なレイアウト」です。[2.基板設計工程]が[0.開発工程][1.設計工程]の事業者に取り込まれることはまずありません。1機種1億円の売り上げに1度しか使わない[2.基板設計工程]の能力を社内に遊ばせておくことはできないからです。逆に、[2.基板設計工程]が[3.製造工程]の事業者と一体であることは理想的です。[3.製造工程]の事業者であれば、1億円の売上に対し100-1000回の[2.基板設計工程]を必要とするでしょうし、製造設備の雑多なパラメータ(よく流動的)を的確に反映させるにも好都合です。ただ、実際には(特に日本では)、少なくない割合で[2.基板設計工程]の事業者は[3.製造工程]の事業者ともまた別の事業者です。手慣れた低賃金作業者を数人雇う独立した小さな会社事務所、または下請けとして現実に存在しているのです。なぜ日本では[3.製造工程]の事業者が[2.基板設計工程]を放棄してしまったのでしょうか。経営者の真の意図まで推し量ることはできませんが、「事業規模」、「海外生産」、「ものづくりと言う誤解」、などといったキーワードで説明できるかもしれませんし、あるいは「余計なことには手を出さず生き延びる」ことのできた環境や補助制度にも無縁ではないと思います。



(*3)
日本における製造業衰退の原因のひとつに定型業務の盲目的な高効率化がありますが、その類かもしれません。そもそもなぜそうなのかという作業の本質が失われてしまっています。条件や制限は追加した以上に削ってゆく、このことをしなければそこには理解もイノベーションもありません。



(*4)
世界のプロプライエタリなPCBCADには次のようなものがあります。

Mentor社
・Expedition
・PADS (*11)

Altium社
・Altium (*11)

Cadence社
・Allegro
・OrCAD

Zuken社
・CR5000/8000 (*12)



(*11)
USやアジアで英語版は3000ドル程度。日本の代理店で一部日本語化したものは100-150万円。(フルセット:幅あり)



(*12)
日本の本社営業で1000万円程度。保守は1年で200万円程度。(一般的なセット:一部除く)
また、「図研に限って」という注釈付きでしたが、上記複数のPCBCADで外注を請けているデザインハウスでは以下のようなコメントをいただきました。

新しいバージョンで出力されたデータは古いバージョンで使えない(追記:新機能を分離するような前方互換性はあえて持たせないということでしょう)。お客様でバージョンダウンを行っていただける場合でも、3世代(追記:残念ながらわずかな見た目以外何も変わらなくても1年1世代なのです)を超えると作業が非常に面倒でしかも保証されない。したがって、万一お客様や外注先が新しいバージョンに更新することを考えるとこちらも保守を止めることは難しい。いまお客様からオファーがある図研指定案件のほとんどは、古くからの部署や製品群が継続している類似機種かまたは既存製品の一部改変であって、担当者はもれなく高齢である。図研指定案件は、1990-2000年ごろまで日本の電機業界の特に大企業の多くが定例コストの棚卸しを充分に行わないまま保守を継続していたこと、その残滓にすぎないと我々は覚悟している。使う機会がほぼ無いにもかかわらず毎年稟議を通す余裕がお客様にはまだあるということだ。保守を続けるのは結構だが、やみくもに新しいバージョンを導入することについては御一考いただきたい。