ここは、敵の新型スーパーウルトラ兵器によってほとんどの生物が一夜にして絶えてしまった街である。むかし我々がそろって「無生物」と呼んだ石や金属、ガラスやプラスチックは毛ほどのキズも受けず、一方で草や木はそれまで生きていたという何の痕跡も残さないまま、まるで瞬間冷凍に遭ったかのようにきれいさっぱりと死んでいた。代わりに今は発電機と送電線、それと交通システムが地下で自由に活動し、前に我々が使っていた交差点の信号はこの巨大な生命のプルスを地上に隠せないでいる。そして残ったこのわけのわからない超グロテスクな生き物も、あと数日でその宴に幕を降ろすのだ。



爆発の数時間前、僕は通りに立っていた。満月ではなかったけれど、うす赤い月でうす明るい夜だった。まだ宵の口ということもあって、買い物袋をぶら下げたおばさんに交通整理の警察官、仕事帰りの若いグループや段ボール箱を抱えた配達員など、通りは結構な人手でわんわんとにぎわっていた。ふと見ると、歩道の脇の芝生に置かれた丸い木の椅子に、赤褐色のぶ厚いマントの首をさらに灰色の布でぐるぐる巻きにして、老婆がちょこんと腰掛けていた。シワシワの口に咥えたキセルからは紫色の煙が一本すっと立って、イーゼルにかけられたサインボードには、白いチョークで「恐竜売ります」と書かれてあった。つられて僕が近づこうとすると、老婆の肩に乗っていた黄色いトカゲのような生き物が、首から上だけを半周クルリと回転させ上下にたくさんの小さな歯がはえ揃った口を大きくあけてこちらのほうを威嚇した。そして、
「シワシワでない老いはない。老婆でない101歳はいない」と言った。
それが演繹的なのか帰納的なのか、もしかしたら三段論法のようなものでなにかに抗議しているのか、そのとき僕にはさっぱりわからなかった。実際ツルツルの老いだってあるし101歳の爺さんだってちゃんといる。それと最近の学説では恐竜は鳥になって今に残ったはずだ。老婆は薄い愛想笑いをうかべて僕の方をずっと見ていたが、毎日ニセモノの恐竜とこんな議論をして夜を過ごすなんてまっぴらだ(そいつはあと10年は死にそうに見えなかった)。僕は老婆の前に置かれていた空き缶にポケットのお金をひとにぎり放り込み、そのまま振り返らずに急いで通りを抜け、2ブロック先のアパートのこの201号室に戻ってきた。それだけだ。それだけなのだが、部屋は、爆心地とスイミングクラブとを結んだ直線の延長線に、綱渡りの綱の上のピエロよろしくちゃっかりと乗っかっていたのである。「永遠の健康を」などというビラに騙された善人たちを昼夜満足させるために溜められた2000立米の温水によって、このあと街全体を放射状に貫く重粒子のシャワーから僕は奇跡的に守られることになったらしい。















今日もまっとうな筋は無かったが、子供の頃のサマーキャンプの夢は愉快だった。ときおり覚めそうになる危機を何度かのりこえたあと、目をあけると、ベッドに沈んだ頭はやっぱり僕のままで、食道から胃のあたりはムカついたままだった。壁の時計の4本の針は爆発の6日後で、午前5時半を指していた。本棚のわきにある鉄の窓を少し引いて外をうかがうと、昨夜からの風はまだ吹いていて、ちぎれた麦わら帽子のつばの部分が舗装路の上でトリプリアクセルかなにかを成功させたところだった。僕はボトルに半分ほど残してあった水をひとくち飲んでから、二重に巻いたザックのヒモを解いてビスケットの袋を取り出し、親指ほどに小さく割れたかけらをひとつだけ口に入れた。あけた窓から朝日が射しこんできた。照らされた壁の一部がまっ白にはじけ、黄色い光の輪がたちあがる。雨上がりの砂ぼこりのようなにおいが部屋の中に満ちる。僕はギルガという名で、たぶん今日この街を出る。朝日はすぐに部屋の隅で小さくなった。





イゼゴラと言う名の巨大な交易センターはヒリウス港の2kmほど手前にある。港からは片側2車線の貨物道路がまっすぐに敷かれていて、イゼゴラの中をひと回りしたあと、今度は運河に沿ってゆるやかなカーブを描きながら内陸に向かって伸びている。運河の上の鉄道は動いていた。(もちろん誰も乗っていないしおサルの運転手なんて元々いない。) 2本の線路の側面はぶ厚い茶褐色のサビにまんべんなく覆われているが、空を向いた一面だけは今日もピカピカに磨かれていた。表面からしみて出してくる濃い鈍色のスペクトルは、自分が未来永劫本物の鉄であるということを証明する今ではたったひとつの証拠なのだ。4000年のあいだ病気もせず休暇もとらずに人間たちを支え続けているのだと、そんな誇りや苦しみはすべて枕木の下にでも押し込めてしまっているのだろう、悲鳴も泣声もため息さえも、これまで誰も聞いたことはない。彼ら自身の弁によるとそれも「当然のこと」であって、フニャフニャの「下等元素」である錫や鉛に首根っこを抑えられながらただ茫々と年月を貪っていた先代の銅などとは「属が違う」のだそうだ。(してみると炭素のことはどうも内緒らしい。)
しばらくすると、やはり線路と同じ色に錆びきった車輪の列が、ゴトリゴトリと、目の前に横たわるすべての光をおしつぶしながらゆっくりと近づいてきた。

ゾンビかなにかの断末魔(死なないけど)のような叫声をまきちらしながら、あずき色の電車は、イゼゴラのすぐ前にあるプラットホームに沿ってゆっくりと速度を落とし、完璧な計画を完全に遂行すべく、停止線の真横にピタリと鼻先を停めきった。と同時に、砂の女が金槌で包丁を打っているようなカンカンという恐ろしい音もやっと止んでくれた。(本当に割れ鐘を叩く遮断機があったことこそおどろきだが。)
「イゼゴラ」とは、大昔にあったアセナイという国で作られた言葉で、元々は 自由/主張/投票 などという意味を持っていたらしい。アセナイはこの「行動の方法論」を「主義」として掲げ、そしてあっという間に滅びていった、と、入り口にある大きな5角柱のモニュメントにはそんな説明が刻まれている。20世紀から21世紀にかけても同じように「自由主義」という主義でもなんでもないただの熱狂が世界を支配しようとした時代はあったが、この600年間そのうごめきが北極海の氷程度になんとか収まっていたということは、我々の学習能力もそれほど悲観したものではないということだ。未来を想像しそこに小さな期待と安らかな希望を得るためには、法であれ政務官であれ一定程度の圧迫と恐怖が社会には必要だということを、今では誰もが認識している。ギルガは、イゼゴラのゲートを抜け、巨大な建物をめぐる回廊を通り抜けた。この回廊を、政務官だった父も毎日渡っていたに違いない。

いま父は、何本も電車を見送りながら、途切れない人の流れの中ひとり動かずじっとホームに立っているような、そんなふうに僕からは見える。母はあるとき僕だけを連れて島を出た。自分が父を恨んでいるのかどうか、母を慕って良いのかどうか、僕にはずっとわからなかった。再会したあと、父は自分の母親(覚えてはいないが僕の祖母だ)が遺した書物を整理しながら、一度だけ僕にこんな話をしたことがある。俺が育った家庭はニセ物だった。その中で見た両親の仲はいつも氷のようだった。最初はどこの家庭もこんなものかと思っていた。だが学校に通うころになってこれは違うとわかってきた。俺は必死になって取り繕おうとしたができなかった。俺のせいだった。だから、そのずっと後、お前を手放したことへの後悔は俺にはない。あるのはまた無力であったことへの軽蔑と恨みだ。お前にとっては納得できないことがこれまでにいくつもあったかもしれないが、お前が、自分が理解できないことを切り捨てたりただ非難したりせず、軽快な魂をもって世界を受け入れ自由な成長を遂げるための最善の選択と俺は信じた。もっと違う方法があったのかどうか今ではもうわからないし、俺自身を弁護するつもりはない、と。それはあまりに独善的だったし、僕には半分ほどしか理解できなかった。なによりそのことと母がずっと苦しんでいた病と関係があるのかどうかを聞くことができなかったのは心残りだが、ただいつも父親と会う時の気恥ずかしさが、不思議とその時には消えていた。

30分ほど歩いて、ギルガは自分も何度か呼び出されたことのある100平米くらいの小さな部屋の前にたどり着いた。そしてドアに鍵がかかっていないことを確かめると、触れたら痕が残るほどに煤で汚れきった両の壁によく注意しながら、部屋の中に入っていった。そこはソビスタ(指導者層の中でコーチのような役割を担うとされる階級の呼び名である)たちの応接室で比較的明るい空間だったはずだが、今はもう、まるで使われなくなった映画のセットがほとんどの色彩を落としたかのように、人の匂いまでもがすっかりと抜け落ちてしまっていた。部屋の西側にある灯り採りの窓ガラスは埃で曇り、ヒリウスの沖に碇を降ろしたままの白い貨物船が、墨で形どった水彩画のように輪郭を浮き立たせながら映りこんでいた。
ギルガは手袋を脱ぎ、ポケットにあった白い紙の包みをほどき、夕陽が照らすテーブルの上に中のものを取り出した。それは一匹のミツバチだった。彼の命(魂があるのならその魂)が今どのあたりに在るのかは見当もつかなかったが、足先はまだかすかに動いているようだった。ギルガは前にイチガヤで手に入れた樫の柄の付いたナイフをポケットから取り出し、刃を開き、両刃に研がれた片方の縁をミツバチの腹にあて、自分の小学校の理科の成績が「B」だったことを思い出していた。それは、わずかな「C」をよりどころに他の全員が善人で多数派である事を保証するという伝統的な技法だったが、今は何の役にも立たなかった。

そうだ。成績と言えば、あのころ同じクラスに体育以外のすべての教科が「A2プラス」だった女の子がいた。「A2プラス」なんて評価を1教科でももらった生徒はギルガの知る限り他にはいない。やつらに連れて行かれる前の日まで、毎朝こんな歌を歌っていたのを覚えている。名前は思い出せない。


私はかもめ
ガガーリンじやないの
偏西風に乗ってここまで来たわ

あなたは言うのよ
ザッツシモキタ半島
ポプラの花粉は飛んでこない


なんだよその歌。
島のずっと北にある半島の歌よ。キャラメル食べる?
うん。どんな意味?
わかんない。ただ曇り空に砂漠から吹く風に乗って聞こえてくる歌、っておばあちゃん言ってた。
ふーん。お前こんなとこまで来て大丈夫なのか。
平気よ。1時間めはカッチョ先生だっけ。帰りは押してってね。
いいよ。カッチョかー。今日の給食なんだっけ。
なんだっけ。コーンブレッドならいいな。
いいな。足寒くないのかよ。
うん。そろそろ帰んなきゃ。
帰んなきゃな。




彼女に会いに行ってみよう。顔を見れば名前も思い出すだろう。この街もやつらもソビスタたちも(生きていればだけど)、もう僕のことなんかどうだっていいはずだ。ミツバチなんて放っておけ。
でもどこへ?
シモキタ半島に決まっている!
でも何に乗って?
君のあの赤い車に決まっている!
でもどうすれば?
ガソリンを入れるに決まっている!








ソビスタの応接室から建物の東の回廊をさらに40分ほど歩くと、ゲートの反対側にある事務棟へは外に出ないままで行くことができた。ギルガはその地下にある書庫に入り、600年前のこの国の北半分が収められた黄色い表紙の(実際にはほとんど茶色だったが)地図帳を探し出した。そして港の救護院でPL6のばあさんが最後に言ったとおり、その中から一番新しい年代のページを繰り出し、何枚かをロールシートに写し撮ることをはじめた。地図にある島の形はもちろん見慣れた弓形のままだったが、細かく織り込まれた縦糸と横糸でできたような硬い文字と、微妙な角度で大きなカーブが交差する柔らかい文字との組み合わせは、数字以外彼にはまったく読むことができなかった。これが「カンジ」「ヒラカナ」と呼ばれていた古い文字だということは学校で習った。使われなくなって何百年か経つはずだ。地図の上のいくつかの地点には番号がふられ、おそらくはその土地のものであろう小さな写真も印刷されていた。それらを見てギルガはひとつひとつの文字の意味をバラバラにだが昔知っていたような錯覚(錯覚なのか?)にとらわれた。そこは自分のよく見知った土地なのではないかという感覚もたしかにあった。たとえばこの左右にほとんど対象な「日光」という文字を持つ土地は、おそらくただシンボライズされただけのほとんど功も罪も無い場所に違いない。横にふられた1という数字がよく似合っている。なぜかギルガには、自分はいつかこの地図にあるほとんどの土地を、地図に振られた番号どおり違わずに訪れるだろうという確信があった。であればシモキタ半島にもいずれたどり着くことになる。ギルガの胸はすこし踊っった。

コピーを終え、閉じた地図帳を片手に持って埃を払っていると、黄色いなにか紙のようなものが萎れた頭を小口からわずかにのぞかせていた。それは3枚、別々のページに1枚ずつ挟まれた付箋だった。やはりカンジとヒラカナで埋まっている。少し角ばった手書きの文字は、ひとつひとつがまるで意思を持ったチェスの駒みたいにそれぞれの受持ちを堅く守っているようで、その整頓された調子にギルガは目を奪われた。いったい誰がどれほど前に書いたものなのだろう。ギルガは地図帳を持って隣の閲覧室に入り、備え付けられた大きなテーブルの上にこれを開き、横に付箋を並べ、それらを交互にくりかえしながめてみた。



1枚めの付箋は3つに分かれており、それぞれひとつの写真にひとつの文字列が添えられている。どの文字列にも区切り文字と思われるものや改行またはスペースは一切無く、さらに文字数が60個に統一されているのは何らかのルールが課されているからだろう。表題かなにか、もしかしたらゲームの一部なのかもしれない。
地名をあらわす「カンジ」は、地図と照らし合わせればそうであることがすぐにわかる。見つけた地名をひとつずつ確認しながら、ギルガは、文字列の最後から2番めに「無」というハッシュタグのような文字が必ず付いていることに気がついた。59番目。数学は(も)決して得意ではなかったが、それでも気持ちの良くない特別な数であることはさすがにわかる。これは暗号だ。


会津西街道は日光よりその地へと松平徳川の因縁を彫りこんだ長く深い谷を縫って走る戒めは既に解かれたもうあのときの恨みは無い



朝私は大陸の上にたったひとり立っていた歩道も人も車も音もない広い羽州街道にひとり立っていた傍を流れる雄物川には堤さえ無い



日高見川の支流は奥州和賀を流れこの里さだめし水陸万傾の地はたらくものみな腕に力あり足に意思あり胸に喜びあり口には言葉無し


さっそく文字の順番を左から数え書き出してみようと、ギルガは辺りにペンを探したがそんなものはもちろん見つからなかった(必要なときに手元に無いのがペンというものの属性である)。でも考えてみれば、今ここに邪魔が入るなんてことはありえない。急ぐことはない。次を見てみるのだ。急いては事を仕損じる。



2枚目の付箋には、我々の言語でも用いるピリオドやカンマらしきものがたくさんあった。ピリオドで区切られた文字列、すなわち文のようなものは合計で5つ。しかしカンマを含めてもそのリズムはほとんどがホワイトノイズのように雑然としたままで、地名として読める「カンジ」は1割ほどしかなく、ハッシュタグも無い。平たく言えばとっかかりがなにも無いのである。ギルガはもう2日以上寝ておらず根気もほとんどなくしかけていたが、それでもなにかヒントは無いものかと椅子から立ち上がろうとしたところで、手元の写真に、その川面に両眼が吸い寄せられた。写るはずのないものが写っていたからだ。


釜石街道を十里ばかり東へ入った山間に釜石側と花巻側北上側との分水嶺在り。花巻へ向かうは猿ヶ石川なり。此処から少し三里ばかり西にて合流する小鳥瀬川はその上流にいくつかの集落を養へり。うち遠野郷には全身翠色の蛙のやうな妖怪が多数棲むと云う。江戸在の平賀某から譲り受たるカマラオブスキイなる仕掛にて姿を追いせしに、 されどさやうな妖怪など映るべくもなく、此れより内に踏入るべき因縁も非ざりき。


それがやって来たのは3年前だった。正確には2年と10ヶ月前だ。その姿が600年前の写真に写っているなどあるはずはない。破れたとか古くなったとかの理由で写真だけ最近のものに差し替えられたというのだろうか。だが古い地図も使われなくなった文字も、こうして保存されているのは歴史的な資料としての価値が認められているからだ。写真だけが差し替えられるなんてありえない。それよりも、そもそも過去にその600年という時間が本当に存在したという証拠はどこにある? 仮にそれがそのとおり存在したのなら、やつらは一体何をこの星とそのまわりに仕組んできたのだろう(600年もかけて!)。そういえば最近自分のまわりにはおかしなことが続いている。新月になると毎朝必ず降る秋の霧のような天気雨とそのときの低い耳鳴りもそうだし、眠りから覚めるときに何秒か起こる黄色と青の色の反転には吐きそうになる。もしかしたら僕は生まれたときから後頭葉かなにか頭のどこかを病んでいて、このまま最後の正気も失ってゆくのだろうか(まだ残っていればだけど)。しかしまあそれならそれでもいい。少しは気が楽になるというものだ。



そして最後の付箋は、何かの約束を丁寧に守りながら続くリフレインだった。こんどは歌だ。



轟駸々と釜石を
蒸気列車は離れたり
鉄の歴史の街を縫う
霧笛は船か灯台か



眼下に裂けし宮古湾
浜街道の要なす
海の実りを汲む街に
閉伊一揆の塚哀し



炭を背負いて塩を担う
区界峠の往き険し
国を開けし強力は
南部の馬と聞こえたり



仰ぐ盛岡岩手山
山道蝦夷の墓どころ
早池峰汚せし太閤を
アテルイの血は許すまじ


ギルガは出発した。






さてこの幕間を利用して、諸君にお話しておかねばならないことがある。
世の中には、わがままで勝手で複雑だが正直で力強く能力にあふれ、しかしその悪人の仮面は絶対に外さないタイプの女が一定数存在する。そのような人種をわたしは決して嫌いではないが、あまり近寄りたいとも思っていない。あらゆる面倒を全て引き受けてしまいそうな気がするからである。だがある日、わたしはうかつにもその美しい女に恋をした。それはこんな短い手紙から始まった。


[あの女の手紙]

そうよ
一年はここの何もかもを
錫の置物に変えてしまった
ぬるい太陽とチタン色の雲
あなたに似た悪魔の鼻息は
鉄の燃える音
だけどわたしの涙は銀の鈴
金のお皿に寄り添うの


なぜこのような取るに足らない心の疵を私は今ここで開陳するのか。それは、手紙の主が、ギルガの幼な馴染の少女(同い年なので今はもう21歳だ)と浅からぬ縁にあるからである。さらにこの手紙がシモキタ半島で投函されたものだからである。私には、このあとこの女がどこかで唐突にあらわれて、皆様のご機嫌を多少なりとも損ねてしまうだろうことが容易に想像できるのだ。もう少しはっきり言うとそれはいまここにある。したがって、あらかじめお詫びをしておかなければならないのである。